賛同者からのメッセージ

賛同者メッセージ

 

(賛同者メッセージ)

 

佐藤利夫(島根大学名誉教授、地域未来協創本部プロデューサー)

任命拒否の理由が全く明らかにされておらず、研究者のためではなく国民に向けて納得がいく理由を説明すべきです。また、総理や官邸から「多様性が必要」等の理由が出され、さらに学術会議の「在り方」に問題がすり替えられていますが、「在り方」を議論する前に、政府が国民のために学術会議をどう活用するかという議論の方が重要と思います。
今回のコロナ禍が良い例ですが、まずは専門家(医療関係者・学者・研究者を含む)の意見や得られたエビデンスを基に、収束に向けたビジョン・行程を策定し、国民に伝え不安をできるだけ払拭することが政治の役割と考えます。しかし政府は、専門家の意見は参考程度、「政治的高度な判断」として、経済を優先させる「Go to トラベル」等の施策を実施しました。その結果、第3波の全国的な感染拡大と都市圏における医療逼迫を招いたことは、学術的知見を軽視した帰結であり、学術会議等の知見を政府が国民のために活用していない証左です。
さらに、緊急事態宣言においても、国民が外出自粛等に従わなくなってきていますが、国民の協力を得るためには日本的な考え方や民族的な特徴を踏まえ、効果的な発信の仕方を考えることが重要だと考えられ、比較民俗学的知見などが必要とされているのではないでしょうか。この点においても、諸外国の国民の考え方の差異や特徴を研究している学者や研究者の知見が役に立つことは明らかです。
こういった学術的知見の国民のための活用を政府は考えるべきであり、学術会議の積極的な活用を議論することが重要と考えます。

 

日本学術会議の元連携会員(島根大学の現役教員)

日本学術会議側が推薦した会員候補者のうち、6名に対して、「総合的・俯瞰的活動を確保する観点からの判断」というただ一言の、意味不明な理由による菅首相の任命拒否から早4か月、様々な方面からの当然とも思われる働きかけや異議申し立てにもかかわらず、相変わらず何の説明もないままに、先週末には再び加藤官房長官が「任命権者として最終判断したものであり、一連の手続きは終了している」と言い切りました。
一部の人が、日本学術会議の在り方についてデマを拡げていることも聞き、とても悲しく思います。
連携会員として務めた経験から言わせてもらうなら、任期中、ともに提言の作成にあたり、公開シンポジウム等を協働して行った会員はすべて、任された使命を実に真摯に受け止め、本業である教育・研究の合間を縫ってできる限りの時間と労力(そして自分なりの能力)を費やして、誠実に国民のために務めを果たそうとしていたと確信しています。自分のためや一部組織のためなどということを慮るような方は、一人もおられませんでした。学内の現連携会員が「ボランティア的に、社会貢献として」とおっしゃっておられるとのことですが、まさにその通りで、報酬など論外です。私が知る限り、お一人お一人の会員の姿勢は新たな委員を推薦する場合も変わらず、「この人ならば」と熟慮の上で行っていたと思います。
会員の誠実な姿勢、そしてきちんとしたプロセスを踏んだうえでの推薦に対して、政府が明確な理由を示さないままに判断を下したことはもとより、その後も継続する「門前払い」と感じられる強権的な姿勢には、本当に驚いています。そして日本はどうなってしまうのかと、懸念は「言論統制」への恐怖へと変わりつつあります。 
 
小林 勝年(鳥取大学教授)
 菅義偉内閣総理大臣が2020年10月1日から任期が開始される日本学術会議の会員について。同会議が推薦した候補のうち6名を任命しなかった行為およびその理由について「総合的、俯瞰的観点」、「多様性」など抽象的な説明をただ繰り返すのみで何ら具体的な理由を挙げなかった態度は、学問研究に従事するすべての者の「学問の自由」を侵すと共に、研究者集団の自治を否定する背徳的な行為である。更に、政府・自民党はこうした批判を契機に日本学術会議のあり方に矛先を向け、人事介入への議論を封印させていることはわが国の民主主義を後退させていると言わざるを得ない。学問的良心に従って言えば、学問研究によって得られた真理・真実が民主主義を発展させていることは紛れもない事実であり、コロナ禍にある現在、政治家に最も求められている態度であろう。
 
磯村 篤範(島根大学名誉教授) 
 任命拒否をされた法学系の先生方は、3人とも旧知の方々です。いずれも、研究者として教育者として、心から信頼してきた方々です。 
 特に専門領域が近い方は、何度か、共同研究をさせていただく機会がありましたが、研究者としてはもちろん、一人の人間としても、高い評価を得ておられました。特に、イデオロギッシュな議論は避けながらも、法的な問題点をしっかりと指摘解明されるところ、そして、異なる意見にも丁寧に議論されるところには、私も多くを学ぶことができました。
 今回任命の拒否をされた方々が、学術会議の社会的役割を担う人として信頼できる方であることを、私は自信をもって申し上げることができます。
 戦前の日本の政府などが学問の成長を妨げたことを未だ反省しない人が未だいることに、それどころか、学問の妨げを恥もなく行おうとすることには、一人の日本人として、本当に恐怖感を持ってしまいます。

加藤 克夫(島根大学元教授) 
 会員任命の資格要件は、唯一「優れた研究業績」という点であり、さらに、1983年の首相(中曽根)の発言では、学術会議会員の首相による任命は「形式的なもの」にすぎないとされていたことからも、現政権の対応がいかに異常かつ不当なものか、憤りを感じます。
 
石田 徹(島根県立大学総合政策学部)
  政治権力が学術・学問のあり方に手出しをするということは、いずれ学術・学問の中身にも手を出してくることに繋がります。 たとえば、「お金の出所」を理由に研究内容まで注文を出すということが、現に「科学研究費」に対してすら生じています。 これらは学術・学問を何か他のものと勘違いしている、理解の無さの表れであると共に、過去の過ちを繰り返すことにほかなりません。 この問題を大きな蟻の一穴としないことが、日本国で基本的人権を享受する者の務めだと考えます。
 
井上 寛司(島根大学名誉教授:歴史学(日本史))  
 学術会議のあり方に問題があるかのような意図的な論理のすり替えによって、問題の本質が見えなくされようとしていることに大きな憤りを感じます。将来に禍根を残すことのないよう、改めて大きな声を上げていく必要があると考えます。 
 
  関 耕平(島根大学・財政学/地方財政論) 
 農林漁業者がおいしく安全な食料を社会に提供するという社会的使命を果たすために、海・森・里・土・水を大切にするのと同じように、私たち研究者が社会の負託に応え、社会的使命を果たすためには「学問の自由」が不可欠です。 
 「学問の自由」が失われれば、目先の国策的研究や経済的効率性のみが重視され、中長期的な社会課題に応える学問、普遍的な真理を追求する基礎科学などがないがしろにされ、将来社会の可能性を狭めることにつながりかねません。

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